登場人物がひとりでに歩き出す方法。

僕はよく作品を書いていると、どうしても想定内のセリフや展開になってしまう事があります。自分でプロットを立てて書いていると
どうしても展開が作品を見てくれている人に
とっては、予想できてしまうようです。
故新井一氏の「シナリオの基礎技術」にはこんな事が書いてあります。「予想を裏切れ、期待を裏切るな!」という作劇法です。
予想が出来てしまうフィクションなど、想定できてしまって面白くないという事です。僕は決まって作品を書き始める前には構成を立てるのですが、書いている途中で、主人公がこんな風な危機一髪に瀕したら、面白くなるだろうなと思って、ストーリーの筋を替えてしまう時があります。そうすると予測が付かないストーリー展開になって、作品が面白くなるのです。それを作家は、登場人物が勝手に動き出すと言うのです。

作家という眼。

僕はシナリオセンターというテレビドラマなどを書く脚本家の勉強をしていました。そこでシナリオを書くセオリーは学んできて、物語の展開や構成などを学んできた事には、自負があります。けれども、ラマって言うのはそうじゃないんです。作家性というか、作家眼と言おうか、その作家の物事を捉える見方が作家のオリジナリティを作って行って、そのドラマを面白くさせるのです。僕は20代の頃から脚本の勉強をしてきました。シナリオセンターに入った事も、シナリオを巧くなりたいというよりも、コネを作りたい
いう思いの方が強かったかも知れません。そういう動機で始めた作家活動だったので、当然、賞コンクールに出しても、中々評価
は結びつかなかったです。でも、今なら物語
作ろうとする時、これはこんな角度から見た物語にしたら、面白くなるんじゃないか、とか考えたりして書く事が出来ます。それもこれも、創作活動をずっと続けてきたからに、他ならないです。

にせもの、ほんもの。

ホンモノの作家が書く小説とは、何かについてよく考えてしまいます。本物の作家が描く世界観とは、人生の縮図を人間観察を徹底的にして、取材を徹底的にして書くものなのだろうか。はたまた、自分の内面から絞り出したキラキラ、ドロドロ、ネガティブ、ポジティブを描いたものがそうなのか、考えてしまいます。だけど、その作家が本物かどうかを決めるのは、ぼくじゃなく読者一人一人なんだと思いたいです。僕は作品をあまり評価された事は無いのですが、本物か偽物かを決めるのを、他人にゆだねる事が出来るのは、ちょっと作品の作り甲斐があって、ホッとします。

想定内の事。想定外の事。

僕の周り全てのものは、仕組まれたものなんじゃないか、とそう思う時があります。それは、僕が考えた事が、現実になるからです。夢が叶うとか、そういった類ではありません。
想定内の事ばかりが現実で起こる時は、要注意かも知れません。予測出来てしまう現実なんて、それこそ面白味の無い生活、しいては人生だと思うのです。社会に生きていて、知らないという事は、恥なのでしょうか。知らなくていい事は知らないままでいいんじゃないでしょうか。僕は知らない事があると、結構、すぐにググります。それで知ったつもりになるのです。でも、それは本当にその本質を知る事にはならないのではないかと思うのです。それでは、自分の日常が、想定外の事ばかりが起きる毎日だったとしたらどうでしょう。それはそれで今までの生活とは、まるで違う日常を送る事になるんじゃないでしょうか。それこそ、仕組まれた人生なのかも知れないと思う時があります。どちらにしても、そんな事を考えてしまう僕は、全くの統合失調症の症状を抱えている、未だに病人なんだと思います。

結果オーライ、

中島みゆきさんがコンサートツアー『結果オーライ』でツアーコンサートを最後にするそうです。体力的な問題なんでしょうね。しかし、みゆきさんはついこの前まで、オールナイトニッポン月イチという月に一度だけ、夜中の3時からラジオの生放送をやっていたというのだから、凄い体力ですよね。和田アキ子さんは以前、自分が歌えなくなったら、芸能界を辞めると言っていました。先日、上沼恵美子さんと共演した番組で、和田アキ子さんが「あの鐘を鳴らすのはあなた」を堂々と歌っているのをみて、勘当したのを覚えています。加山雄三さんも先日の「24時間テレビ愛は地球を救う45」で引退を決意したのですが、加山雄三さんも、歌えなくなる前に引退したいという事でした。
中島みゆきさんは、ツアーは辞めてしまったけれど、コーヒーのBOSSのCMには出てるし、多分、みゆきさんのライフワーク的なステージにもなっている『夜会』も辞めないんだろうな~。

現実しか居場所が無い。

―――現実にしか居場所がない。誰かが言っています。僕は10畳のちょっと広い部屋で毎日、仕事をしています。これが僕の現実、これが僕の日常生活、これが僕の毎日。
食事は家族と食べます。父が畑で取って来てくれた野菜とかを母が料理してくれます。ちょっと前までは、台所で料理を作る母を、観察するように僕もキッチンに立ち、覗いていました。
「あんた、そこに居たら邪魔よ」と言われながらも、母の背中からフライパンで炒める料理の調味料を隠れ見ていました。
母は、唐揚げも初めから作ります。お酒、みりん、すりおろした生姜、後は覚えてません。
僕も見様見真似で作れるようになったらいいと思います。料理は愛情、愛情を込めて作ったご飯を誰に食べさせようか、今の一番の課題はそれですね(笑)。

怒りの感情は動力源?!

「今ここ」というマインドフルネスについて書かれた本を読みました。そこには、怒りについて書かれた章がありました。怒りの感情は、「今ここ」的には、時間を無駄にしているとこの事でした。だけれども、僕はそれは無駄では無いと思うのです。僕の師事する恋愛コラムニストの神崎桃子先生も、怒りはパワーの源だと仰られてtいます。確かに脚本家の故新井一先生が書かれた「シナリオの基礎技術」でも、ドラマを面白くするのは、「ケンカ」と「ラブシーン」だと著書に書かれています。僕はあまり怒るという感情が自分の中に無いのですが、辛い気持ちも楽しい気持ちも、人間生きていれば様々な気持ちが生まれて、時にはそれを我慢しなければいけない時が必ずあると思うので、それだったら、
我慢せずに創作のネタにした方が、いいのかなとも思います。

男運は悪くなかった。

僕は女運が悪いのです。女運が悪いと言うか、はっきり言って女縁が無いんです。その代わり、男運はいいような気がします。友人、恩人、仕事先の上司、作業所の所長さん、とても上司には本当に大切に育てられました。友人とは何でも話せる仲になりました。今度はその男運の良さを、どうにかして女運の良さに持って行きたいと思っています。僕の女運が良くなることをどうか、皆さん祈っていて下さい。そしてその巡り合わせが素敵な未来を描けるように、僕も努力したいです。統合失調症でも、そんな明るい未来が持ちたいです。 やっぱり一人は寂しいです。

運のいい人の条件。

多分、運に恵まれている人というのは、それまでに自分がやってきた努力の積み重ねがあって、その結果として、運というものが自分に降り掛かって来るようだと僕は考えています。だからよく継続することは才能だと言われたりするんじゃないかと思います。神様じゃないけど、きっとその積み重ねは、誰かがきっと見ていて、然るべき評価を与えてくれるんだと思うのです。だから今日も積み重ねを意識して、行動していかなきゃならないです。その継続が幸運を運んできやすくなるように。 

ドラえもん。

不二子・F・不二雄先生の描く劇場版の「ドラえもん」が好きでした。劇場版ドラえもんには、夢がありました。ドキドキわくわくの冒険もありました。そして好奇心をそそる知恵がありました。どの作品にも驚きと発見があり、それが僕のほんの一部を作っているのかも知れません。多分、僕と同世代の人は同じ思いでいる人も多いのではないでしょうか。
懐かしいなぁ。いまでも色あせないドラえもんの面白さ。Amazonprimeで確か、全作無料で観られるのだったかな?また時間が出来たら、観たいものです。