統合失調症と創作活動

大学時代、自主製作映画創りに没頭していた僕は、大学時代から映画やテレビドラマの脚本家を夢見て、創作活動をしていました。
統合失調症と診断されても、僕は執筆活動を辞める事はしませんでした。
その当時の僕の執筆作品と言ったら、家籠りで経験も浅く、病気のせいでやけに毒々しい作品ばかりを書いていまいた。
しかし、その行為は精神疾患を持った人が動物を飼って病気の回復を促す動物セラピーのように、僕は創作活動をして自分の病気を無意識的にリカバリーさせていったのです。
そうして20余年、ずっと創作活動を続けて来ました。
今も幻聴や妄想などの統合失調症の基本的な症状は続いています。
しかし、今の僕にとっては、創作活動は誰かに共感を届けたいという気持ちで書いています。
そうして僕は統合失調症作家と自分の事を名乗り、統合失調症の僕でなければ書けない作品を書いていきたいと思っています。

統合失調症と私。

私は生まれてから高校卒業まで、愛知県豊川市に住んでいました。
小学生の時は、てんかんだった為、服薬していた薬の副作用で歯茎が腫れていて、「グキボン」というあだ名を付けられ、悲しい少年時代を過ごしました。
そのあだ名を付けた級友は何故かガンジーというあだ名でした。

僕が統合失調症になったきっかけは、大学時代を自主製作映画に捧げた挙句に留年し、周りの環境が変わったのが原因か、それとも当時流行っていた絵画詐欺に引っかかったストレスが原因なのか分からないですけれど、体調不良で大学を中退し、実家に連れ戻され、統合失調症と診断を受けたのが、24歳でした。
発病当時の僕は、家族の体の中に別の人間が憑依しているという誇大妄想があり、家族に怯え家に引き籠っていました。そして毎日聴こえてくる幻聴に苦しんでいました。
それでも、病気を隠していくつものアルバイトをやってはみたものの、やはり体調が優れず、すぐに退職を繰り返していました。
そこで母は僕に働く能力が無いと言い、僕はアルバイトを禁止され、父にはそれは怠けだと言われ、毎日悲しい日々を送っていたのですが、福祉の勉強をしていた姉と友人のお陰で、自分で統合失調症の勉強を始めるようになりました。
姉は一番の理解者で、僕が幻聴が聴こえると、「それはあんたの頭の中だけで聴こえてるだけの言葉だ」だとか、聴こえる幻聴で「誰かがこんな事言った」と言えば、「あんたに興味持ってる人なんか一ミリもおらんわ」とサクッと簡単に切り捨てるのでした。
それでも、何故かそんな姉の言葉を聞くと、僕は安心していました。
そうして今現在は、家族や周りの方々の温かい理解の上で、穏やかな日常生活を暮らしています。

一番、気を付けている事。

今日、ある方から言われた事がありました。
病気を発症してから、一番気を付けている事は何かという問いかけでした。
その人は、統合失調症でも、一人暮らしをしている方なのですが、毎日健康を保つために、栄養のバランスのある食事を摂る事を一番に気を付けるとの事でした。
僕は親と同居なので。栄養のバランスの取れた食事は毎日、食べさせて貰っているのですが、僕が一番に気を付けたい事は、身だしなみだと思っています。
お風呂に毎日入るとか、鼻の毛が出ていないかチェックするとか。
毎日、髭を剃るとか。
僕はお風呂に入るのも、毎日髭を剃るのも、結構大変な事だと思っています。
でも、小さな事ですが、大切な事ですよね。

親亡き後に。

調子が悪い時は、ついネガティブになりがちです。
僕は今、40代半ばなのですが、親亡き後の事をそろそろ考え始めないといけないと思っています。
精神の障がいを持っている人の中では、既に精神的自立は元より、経済的自立もしている人が多くいます。
そうでは無い僕は落ちこぼれでしょうか?
知り合いの方が仰るには、精神障がい者は、お金が無くても、何とか生きていけるよと、言ってくれます。
障がいを持った人が、無理なく生きる、それは我儘でしょうか。
精神障がい者への理解という我儘でしょうか。
自問自答しても、答えは分かりません。

偏見を持っていたのは、僕の方だった。

偏見を持っていたのは、私の方でした。
統合失調症は、馬鹿ではないし、回復してくれば、運動も勉強もあらゆる事が出来る。
僕は出来なかった。でも、他の当事者の中には、易々とそれを成し遂げている方もいらっしゃる。
知り合いの社労士さんには、自分は障がいを持っているけれど、まず自分を一番に救う為に、社労士になったという人がいます。
僕も何かと病気を言い訳にして、チャレンジしてこなかった事が沢山あります。
それを乗り越える事こそ、本当の努力というのでしょうね。
同情など欲しくない、その割には僕は統合失調症という病気を楯に毎日を生活しています。
駄目ですねー、そんな自分に反省です。
無意識にそんな自分になっている自分がちょっと問題です。
出来る事は出来る、出来ない事は出来ないとはっきりとした毎日を送りたいと切に願います。

統合失調症当事者の恋愛。

健常者の友人に言われました。
案外、障がい者の恋愛、結婚は難しくはないものだよと。
且つて、統合失調症の恋人と付き合っていた友人が言いました。
僕は結構、恋愛も結婚も諦めていました。
恋愛も結婚もお金が掛かるからです。
案外、お金が無くても、楽しい恋愛って出来るのかも知れません。
あの映画を観たい……、だけどあの映画はあの子とじゃなきゃ面白く観れない。
だけど、あの子はあの映画のシリーズは、全く興味がない。
こんな考え、障がい者じゃなくても考える事ですよね。
だから、案外障がい者の恋愛も上手くいくのかも知れないと思うのです。
お金が無ければ、公園を散歩したらいい。
外に出たくなければ、LINEで通話したらいい。今は昔程、当事者の恋愛を助けてくれる場所が沢山あるような気がします。
そんな事を考えているのは、僕だけで当事者の友人知人の皆は、結構、恋愛を楽しみ、結婚をして癒しの場を手にいれているじゃないか、とも思う訳で……。

エナジーヴァンパイア。

どうやら、僕には人を疲れさせたり、苛々させる気質があるらしいのです。
姉には、「エナジーヴァンパイア」と呼ばれていました。
エナジーヴァンパイアとは、その当人は元気に元気いっぱいに周りに明るさを振り捲き、お喋りをし、コミュニケーションを取り、喋り、動きして楽しむのですが、周りの人はその力に引き寄せられて、疲れてしまうという事らしいです。
僕の知り合いの方に僧侶の人がいるのですが、その人は、僕のそのような本質を見抜いていて、僕にエナジーヴァンパイアにならないようにする方法を指摘して下さいました。
心を無にする、これはその人に教わった事ではないのですが、僕はその知人の指摘を受けて、心を無にすればいいんだ、欲を持ってもいいけれど、欲しがるだけじゃなく、人に与えられる事が出来るような人間になりたいと思いました。
それは物質的なものだけではなく、精神的なものの方が、大きいのだとも思いました。
中々実行出来ないかも知れませんが、見返りを求めず、人に与えられる存在になりたいです。

もりのこどくさん。

推しのVtuberの人がいます。
もりのこどくさんという20歳の現役高校5年生です。
彼女は、統合失調症です。
それなのに、彼女はとても明るくポジティブシンキングを持った女性です。
「やっほー。今日も生きてて偉い!」、と彼女は元気に言います。
夕方に起きても「おはよー」という挨拶は絶対に忘れません。
そんなもりのこどくさんに元気を貰っています。
今度、もりのこどくさんは、もりのへやのライブ配信で歌を歌われるそうです。
追っかけ配信でもいいので、もりのこどくさんの歌声を聴いてみたいものです。
ちょっと只のアイドルのファンになってしまっている感がある文章ですが、もりのこどくさんは、れっきとした統合失調症の当事者ですし、そんな当事者のもりのこどくさんが、自身が統合失調症だというのも忘れるぐらいポジティブで明るいのは、素晴らしい事だと思います。

それは今では無い。

TOYOKAWA統合失調症LINEグループ[Birds]はまだ飛び立ってもいません。
恩師は、人が集まるのに二年ぐらい掛かるよと仰られました。
だから始めるなら、早い方がいいと思っているのですが、計画を曲がりなりにも始めてしまったら、そこからは渦潮が唸りを上げて回るが如く、ドッと僕の生活を一変させるのではないかという危惧が頭から離れないのです。
いつ始めるべきか。それは今では無い、でもやっぱり今スグ始めるべきだと、何度も同じ考えが、頭の中を渦巻くのです。

作家のハシクレ。

僕は作家のハシクレなのですが、、妄想と想像力の境が曖昧になっている時があります。
発症当時の昔みたいに、毒気のある毒々しい文章は少なくなりましたが、それでも習慣として書いている800文字小説は、今でも、あまりにも統合失調症過ぎます。
以前まで周りからは、日常生活に悪影響だから、創作活動は止めた方がいい、と言われ続けた時期もありました。
しかし、僕は今しか書けない物、統合失調症の僕しか書けない文章を心掛けて書いてきた20余年だったのではないかと思います。
僕が書いた文章で、人は何を感じるのか、悪影響なのか、信頼出来る確固たる人物像か、それをこれから見極めながら、執筆活動を続けて行きたいと思います。