健康被害ゼロの電子煙草。

電子煙草を吸っています。アロマリキッドを本体に注入して吸う電子煙草です。バッテリー充電式で、本体はちょっとお高いのですが、吐く煙は水蒸気、ニコチンタールゼロで健康被害ゼロの優れものです。只、脳外科の先生が言うには、そんなのただの気休めだ、健康被害がゼロなんて嘘だ、と言うのです。確かに脳外科の先生の言う言葉ですから、それなりに信ぴょう性はあるのかも知れないですが、電子煙草を売っている会社も、健康被害ゼロと謳っているのだから、健康被害ゼロなんだと思うんだけど・・・。僕はその電子煙草の事を気に入ってて、もう5年以上は吸ってるかも知れません。途中、禁煙に失敗して、煙草を吸い始めてしまった時には、電子煙草は放置でしたが。皆さんにも知って欲しい、健康被害ゼロの「社長のタバコ」。お値段は本体が一万円ちょっとで、アロマリキッドは1500円くらいだったと思います。是非、禁煙をしたいと思っている人は、「社長のタバコ」をお薦めします。

産みの苦しみ。

以前は、よく他人に、僕が物語を書いているのは、なりたい自分になれるからだろうと思われていた時期がありました。やりたい事が何だかまだ分からないから、作品を書いて世の中の不条理や、やりたくても出来ない事ばかりの社会から現実逃避したいだけなんじゃないのかと言われた事が、ありました。
確かに20代の時は脚本家を目指していたのですが、出来る事もなく、賞に送ってもまるで反応なしでした。けれども、だからと言って作品に自分を投影して、自画自賛していた訳ではありません。これは最近になって、顕著に感じる事なのですが、創作は産みの苦しみを伴うものだと思いました。自分が作品を書く事で、僕の周りの人にも迷惑が掛かるのではないかと思ったからです。これはどういう事かというと、小説は自分の内側から湧き上がって出て来る感情を書くものだと僕は思っています。その感情は周りの環境からくるものだとも思っています。だから、周りの人達がいての自分の感情だと思っています。だから産みの苦しみがあるのは、当然なんだと思うのです。だけど、僕はそれでもひょうげんしたい事が沢山あって、それを苦しみながら作品に書いていきたいと思っています。

障がい者の在宅ワークのすすめ

僕は物を書く事が好きです。好きを仕事に出来たらいいな、と思っていますが、そんなに世の中甘くない、今のところ、作家活動では食べていけません。将来は僕も作家として飯を食えるような生活がしたいと思っています。
今、身体・精神障がい者の方の為の新しい働き方が注目されています。それはB型作業所やA型作業所の作業の一環としてのものなのですが、まあ、一言で言ってしまえば在宅ワークです。B型、A型の在宅ワークってどんな事をやるんだ?と思う方も大勢いることだと思います。在宅ワークも色々あります。内職だったり、パソコンを使った作業だったり。
一般の仕事よりも就労支援事業所の仕事ですから、工賃も安くなるかも知れません。けれども、在宅ワークのメリットは、どういったものなのでしょう。身体障がい者、精神障がい者共に、外で働く事に無理がある人にとっては、障がい者雇用というのは、中々難しいようで、自分にあった仕事も見つけられない人が多数います。在宅ワークでパソコンを使ってのデータ入力などだったら自分に出来る最良の働き方がそこにはあるのではないでしょうか。

アルコール。

僕はお酒は飲みません。服薬をしているかえらです。アルコールはお酒の効果を無くして
しまうというのです。家で両親がアルコールを飲んでいる時も、僕は一人でルイボスティ
ーを飲んでいます。そう言う時は、ちょっとお酒も飲みたくなるのですが。因みにルイボ
スティーはカフェインゼロです。煙草も今は吸っていません。ニコチンタールゼロで健康
被害ゼロの電子タバコは吸っていますが・・・。煙草は統合失調症の症状を抑える
らしく、統合失調症の人は喫煙率が高いそうです。ちょっとしたプチ同窓会などで、一泊
するようなときは、お酒解禁にします。自分で決めたちょっとした赦しです。我慢ばかり
では、気が滅入ってしまいますもんね。ハメを外せる時や場所があると、人は心をリフレ
ッシュして、次の日の活力に出来るものですよね。まあでも、基本的にはやっぱりお酒飲
まないですけどね。

スペシャルな事。

僕は福祉関係の資格を持っている訳でもなく、
僕は人の相談に乘ってやれる程、出来た人間
でも無く、小説が書きたいと毎日をそれに時
間を費やしているばかりの人間だし。
当事者として作家を目指す事にしても、それ
をどう話せば当事者やご家族様にとって有益
な事になるのか。どうか。迷います。

「僕、殺されちゃうの?」、窓の外の木陰には男が一人、僕を見張ってる。

「僕、殺されちゃうのかな?」僕の病気の症
状がまた蓋を開けて、頭の中から顔を出し、
外の景色を除き出している最中です。僕は世
の中の暗部まで見過ぎてしまったんでしょう。
僕は知らなくていい事まで知り過ぎてしまっ
たのでしょう。だから殺されるのです。僕が
見過ぎてしまった世の中の暗部は、友人から
言わせれば、それはスピリチュアルな世界な
のだという事だそうです。友人にとってスピ
リチュアルとは、社会の日の当たらない暗部
の世界の事を指すそうです。そう言えば窓の
外でずっと僕の事を見張っている男がいる気
がします。いいや、決して気のせいではない
のです。彼を初めて見たのは、まだ夏の熱い
時節。太陽の下、あの木陰の下の影の中で、
汗を拭いながら、僕を見張っていたのを覚え
ています。季節は移り変わり、今は冬。彼は
一年中、僕の事を見張り続けているのです。
僕は何を犯したのだろう。心当たりがない。
僕は自分がなぜ殺されるのか、分からずに、
死んでいくのかな?僕は理由の分からない死
の恐怖に縛られながら今日も生きていくので
しょうか。窓の外の木陰には、まだ男がいる。

嘘とホント。

本物と偽物の違いって何でしょう。僕は小説
をノートパソコンで書いてるけど、それは本
当は僕が書いているんじゃなくて、何物
かが頭の中に入って来て、僕の指先を伝って、
物語を紡いでいくんです。それはAIに小説を
書くアシストをして貰うのと、似ているかも
知れません。本当は僕は小説なんか書いてい
ないんじゃないのかと、本当に思ってしまう
のです。それは僕の病気のせいかも知れませ
ん。精神を病んだ僕だから考える事なのかも
知れません。誰かが言います。僕の頭の中で。
「それが真実だ」と。だけども僕の姉は言い
ます。「それはあんたの頭の中だけの錯覚だ
と」またある知人はいいます。「それはあな
たの中では真実だけど、事実ではないですよ
ね」と。本物と偽物の違いって、何だろうと
考えている最中です。邪魔をしないで下さい。
今はどんな種類の仕事でも、SNSの知識とその
実践する技術は必須かも知れません。いや、
必須なのです。それに傾倒し過ぎて、本来の
小説の面白さとか忘れちゃ駄目だよ、と僕は
思います。だけど、それを決めるのは、読者
であって、その読者がその本を手に取らなけ
れば、評価されるものも評価されないし、読
んで貰わなければ、いい評価も悪い評価も付
けられないものだと。その時、僕の頭の中で
幻聴が聴こえたんです。「食っていけるのが、
本物の作家なんだよ」と。そこには産みの苦
しみだったり、葛藤だったりが、あるのでし
ょうね。それが本物だという証拠なんでしょ
うね。

猫を飼うというささやかな夢。

友人は、猫が飼いたいと常に僕に漏らしてい
ました。僕の友人は、将来猫を飼いたいと言
っている友人がいます。その友人は、グルー
プホームで暮らしており、今はA型作業所に
通所しています。グループホームではペット
を飼うのは禁止されているそうです。僕は実
家暮らしでずっと猫を飼っていたので、猫が
いつも話し相手になってくれていたなぁと思
いまうううす。友人は寂しいのかなと思って
しまいます。猫のいる暮らしはささやかな夢
なんでしょうね。いつか友人が猫が飼える生
活を送れるように、願います。

創作活動について。

僕の著書短編小説詩集『還り道』う小説の最後は「同じ月を見ている」という短編で締めくくられています。そこには、同じ月をそれぞれの家の窓から見て、お互いの事を思う場面が描かれています。このシーン、僕の著書「愛が何かも分からないけど」のヒロインと主人公の青年が、別々の場所で同じ月を見ていて、気付いたらお互いに相手の事を想っている事に気付き、自分は相手の事が好きだと確信するという大事な場面があります。僕は青山のシナリオセンターで脚本を学んでいた事もあり、描写を描く事に注進していました。だから、その場面も心理描写を排して、描写に徹しています。セリフも心理描写も無く、ヒロインと主人の青年の気持ちを表す心情を描いたのです。その場面の心情がよくわからなかったという読者さんからの感想を頂きました。それは僕の独りよがりで、読者にはその二人のその時の心理が伝わっていなかったようです。やはり、小説と脚本とが違うものだと、実感した時でした。

統合失調症が何かも分からないけど。

僕の著書『愛が何かも分からないけど』は、20代を統合失調症の闘病生活で、青春を送れなかった若者が主人公の小説です。その主人公は、30代になりある女性に恋をします。それが風俗嬢の女性なのですが、僕はこの作品を書いた当時、精神障がいの福祉の踏み入ってはいけないタブーに踏み込め!みたいな心境で、統合失調症当事者と風俗嬢の女性の恋愛を描きました。でも、それって結局、僕の勝手な統合失調症に対しての思い込みだったり差別だったりしたのかも知れません。統合失調症だから、恋愛する暇もなった、それはそれで確かな事かも知れません。だけど、統合失調症の人でも、普通に恋もするし、結婚もします。一般就職だってするし、一人暮らしだってする。症状は人それぞれ違うけれど、もしかしたら、「愛が何かも分からないけど」の主人公のような統合失調症の
当事者が本当にいるか知れないし、それが本当に統合失調症当事者の問題点なのかも知れません。誰も声に出して訴えないだけで、そんな現状が本当に精神障がいを抱える人の問題なのかも知れません。そう考えると次の作品を考えるのが楽しくなってきました。
これからも逢坂 純をどうか、ご贔屓にしてやって下さい。