昨日、仕事を辞めて後悔はないと言いましたが、反省はちゃんとありました。仕事が疎かになる程、創作活動にのめり込んでいたなんて、まるで自覚が無かったです。だから僕は何も悪びれる事無く、仕事を辞めてしまいました。折角障がい者雇用で雇ってもらった会社の人にも、そして支援者の人をも裏切ってしまっていた事になると今更ながら感じたからです。任された仕事が皿洗いだとしても、
仕事はチームプレイで、キッチンで料理を作る人、食事をお客様に提供する人、そして皿を洗う僕。僕は周りの人の期待を全部、裏切っていたのだろうなと。僕はもう仕事を辞めてしまったという事実は、もう起こってしまった事として受け止め、今は自分に出来る精いっぱいの事をやっていきたいと思います。
それが自分の成長と成果に繋がるのだと思うからです。今日も一日元気で頑張ります(無理なく)。
カテゴリー: おしらせ
このサイトは、TOYOKAWA・統合失調症LINEグループ [Bar’s]の活動報告と共にグループメンバーを募集する為に作成されたホームページです。
障がい者雇用と自己実現との間で。
障がい者雇用で、飲食店に勤めていた事がありました。その飲食店での僕の仕事は、皿洗いと簡単な仕込み。皿洗いは業務用の食器洗浄機がやってくれるし、簡単な仕込みというのも、玉ねぎの皮むきと、じゃがいもの芽取りです。ランチタイムのバイキングの時間は店の繁忙期、フロアの人が忙しくしている時は、まだ僕は全く暇で、皿洗いのコーナーの一角で、鼻歌でも歌っていました。フロアの人がランチタイムのお皿を下げて来る時間になると、キッチンの人達はひと段落、食器を下げ終えたフロアの人もひと段落、ここからが僕の繁忙期なのでした。そうして一年半が経ち、僕は支援者の人たちとこれまでの振り返りの会合を開きました。そこで僕は仕事にミスが目立つ、と言われました。自覚は全くありませんでした。支援者の全員が僕に言いました。創作活動を辞めて、仕事に集中した方がいいと。けれども、僕はその時、創作活動があってこその自分だと、頑なにその申し出を断りました。そして会社を辞めました。
今ではそれは正しい事だったように思います。そうして今の創作活動を楽しむ自分がいるのですから。仕事を辞めた事に後悔はありません。
流れんぞ、時代。
日常を生活していると、忙しさに紛れて、社会の動きがまるで別世界の出来事のように、耳に目に入って来ない最近です。
誰とも話さないから、自分で世間の情報をインプットしないと、社会の流れから、スルリと流れ落ちてしまうんでしょうか。
阿部元総理の国葬の時、名古屋の街は、穏やかで何事も無かったかのように、静かだったようです。
うちでは、朝から父がメジャーリーグの大谷翔平選手の出場する試合を観ています。
父親がいなかったら、僕は大谷選手の活躍も知らずにいた事でしょう。
自分の知りたい事を知識欲に任せて、研究す
るのもいいけれど、やはり社会の流れを知っ
ていないと、人とまともに話せないんじゃな
いかと思えます。以前の職場では、話をする
事自体無かったですが、話しをする場にいた
ら、世の中の出来事は、ある程度、知らない
と恥を掻くんじゃないのかなとも思えます。
周りの事に無関心、社会が今どうなっている
のかに無関心、いけない兆候です。
ここにいない僕。
今、自分が何処で何をしているのか、分からないという話をSNS上で聞きました。
僕もその通りだと思いました。
自分は本当にここにいるんだろうか。
この椅子に座り、昼食はリビングに降りていき、母親が作ってくれた料理を食べる。
そんな当たり前の事が不意に錯覚ではなかろうかと思う時があります。
世の中は作られている妄想です。
僕の身体はここにいるけど、心は何処にいるんだろう、そう思ってしまうのです。
学び>孤独。
精神障がい者は何もべんきょうしていないと孤独に追いやられてしまうような気がします。僕も統合失調症の事を勉強する前は、家族の理解も無く、孤独でした。親には、怒鳴られて、僕も怒鳴って、双方ヘトヘトになって。
だけれども、家族で統合失調症の事を勉強し始めて、それで友人とも精神障がいの考えを共有できたし、それで作業所にも行く事ができたし。それで作業所の仲間もできたし。そうしていくと、色々な学びと気付きが出来、そうしていく事で、行動範囲も自然と広がってきたり。
今までは決して行けなかった、出来なかった事が出来るようになったり。
だから、今の僕はちょっと成長して、やりたい事を少しづつ、出来るようになって、自分のなりたい姿に近づけているんじゃないかと思っています。
特別じゃなくて、特殊??
好きな事を好きなように出来る環境づくりは
とても大切なように思われます。
僕は精神障がい者で、経済的自立も出来ておらず、親の協力と援助のお陰で、自分が好きな事をやらせてもらっています。
自分の好きな事で、将来を食いつないでいきたいと思っています。
その為に今、自分が出来る精いっぱいの事をやらなければいけないと思っています。
だけど、それは一人では到底出来ない事のように思われます。
家族からの援助、仲間の協力、それらが僕に手を差し伸べてくれるなら、僕は本気で自分の好きな事を仕事に出来るように、頑張れる。だけども、他人も家族もやっぱり自分の生活があって、僕に協力したくても協力出来ない人の方が多い。
障がい者障がい者でないは、関係無い。
それこそ、障がい者の自己欺瞞。
障がい者の自己実現だけが特別なものじゃない。
だから、障がい者の自己実現は、そうでない人と同じか、それ以上に頑張らなくては出来ない事のような気がします。
だから、僕は訴える。訴えた熱量で、それを実現できる仲間を得られるかどうかが決まるような気がします。
一人ではやっぱり出来ない事の方が多いから。
太陽の光の大切さ。
今日は朝起きて、カーテンを開けると、太陽の光が部屋の中に差し込んできて、とても気持ちの良い快感を味わいました。
太陽の光がこれ程までに、人を元気にするのか、日の光を浴びながら、そう感じました。
この感覚を統合失調症になった当時に、毎日味わえていたら、どんなに回復の助力となっていたかと思いました。太陽の光の中で、毎日散歩する、それがあの時出来ていたらと思うと、あの時はカーテンを閉め切って布団をかぶって部屋の中から出られない程、病んでいたんだなと思います。
太陽の光というのは、ビタミンⅮを生成する効果があったり、睡眠の質が上がったり、骨を強くしたり、血圧が下がったり、そして何より気分が安定する効果が見られるみたいで、ベランダで日向ぼっこをするのも良いかと考えています。
朝早く起きたら、近くの公園を散歩するのもいいかも知れません。
公園を二周ぐらいして15分くらいな短い距離ですが、やらないよりやった方がマシと思い、これからは散歩を日課に習慣づけたいです。物事の習慣化は3カ月で出来ると言いますが、よく考えたら、アルバイトの研修期間も確かそんなもんだったよなーと思います。
太陽の光に感謝!
自己実現の実のなる木。
これは障がい者健常者関係ない事なのかも知れないですが、物事を成し遂げるには、周りの理解や協力が多分に必要なんだなと最近、特にそう思うようになってきました。
それは具体的な援助とかそういうのとかと違って、助言だったり、ヒントだったりをくれたりだったりで。
障がい者の自己実現って、その過程が大事で、それがその当事者の成長に繋がるみたいな事だったり、当時者が本当に実現したい事じゃなく、そこからちょっと段階を緩やかにした実現可能な自己実現だったり、お茶を濁す感じに結局、なってしまっていたり。
だけど、それでも本当に親身になってくれる家族以外の人の理解だったりあったりして、僕はそういう意味では、真剣に僕の自己実現に向き合ってくれている家族、周囲の人に感謝しないといけないなと思っています。
真剣に事に向き合ってくれる人の頭のなかには、もしかしたら障がい者か健常者かなんて関係無いのかも知れないです。
兎にも角にも周囲の理解と受容と協力に感謝ですね。
東日本大震災の時、僕は。
障がい者年金の事で、統合失調症になってからの自分を家族の記憶を頼りに、書き出す作業をしました。
そこで、僕は東日本大震災の時は、何をしていたんだろうかと思い、ちょっと調べてみました。自分の記憶というのは、あまりにも不確かで、自分の記憶では、家に引き籠っていた最中で、創作活動を仕事にしたいと、コンクールなどに原稿を送っていたと思っていました。
どうしてもプロになりたくて、震災から一、二年の間に年間10本の作品をコンクールに送っていたと記憶していました。
自分本位で自己中で、震災の事よりも自分の事で精一杯だったと記憶していました。
しかし、実際は震災は、僕が作業所に通う二年間前の出来事で、その頃は、青森の友人と電話をして連絡を取り合っていた時期だったのです。
その青森の友人は、被害は大したことなく、
僕はその友人のお陰で、家族と自分とで統合失調症の勉強をして病気の事の理解を深める事が出来、その友人の勧めで作業所にも通う事が出来ていたのでした。
僕はもっと非情な人間だと思っていました。僕は震災の時に、被災者に何もする事は無かったけれど、確かに自分の事で精一杯だったかも知れないけれど、自分の人生を真剣にその友人と家族と一緒に見つめ直し、懸命に生きていたのだと、分りました。
テレビの中の震災の風景は、僕にはリアルに感じる事は出来ずにいて、今がチャンスと年に10本の作品をコンクールに送っていた事は確かに記憶にあります。でもそれ以上に、自分の将来を考えていたんだと、その当時を振り返るとそんな自分を発見できました。
これまでは、自分の記憶だけを頼りにして、その事がトラウマになっていました。
今回、自分の事を振り返る事が出来て本当に良かったと思います。
目に見えない価値は努力と似ている。
世の中の見えない部分は、本当に光は当たらないのか、と考えていました。サンテグ・ジュペリ作『星の王子様』では、「本当に大切なものは目には見えないんだよ」と言っています。地球に降りて来た王子様と砂漠に不時着した飛行士のお話です。
目に見えないだけじゃなくて、見方を変えれば、それは目に見えて光の当たる場所に自然と招かれるのではないかと僕は思っています。王子様の住む星にいた一輪の薔薇を、王子様は美しいと思い、大切にしてたけど、地球では同じ薔薇の花壇がありました。けれども、それは大勢の薔薇であって、王子様が星に残してきた薔薇の事を愛すれば、それは王子さまにとって、唯一無二の薔薇になるというのです。見方を変える事で、大切なものが僕にも見えてきました。
今日も頑張れそうです。