友人は、猫が飼いたいと常に僕に漏らしてい
ました。僕の友人は、将来猫を飼いたいと言
っている友人がいます。その友人は、グルー
プホームで暮らしており、今はA型作業所に
通所しています。グループホームではペット
を飼うのは禁止されているそうです。僕は実
家暮らしでずっと猫を飼っていたので、猫が
いつも話し相手になってくれていたなぁと思
いまうううす。友人は寂しいのかなと思って
しまいます。猫のいる暮らしはささやかな夢
なんでしょうね。いつか友人が猫が飼える生
活を送れるように、願います。
創作活動について。
僕の著書短編小説詩集『還り道』う小説の最後は「同じ月を見ている」という短編で締めくくられています。そこには、同じ月をそれぞれの家の窓から見て、お互いの事を思う場面が描かれています。このシーン、僕の著書「愛が何かも分からないけど」のヒロインと主人公の青年が、別々の場所で同じ月を見ていて、気付いたらお互いに相手の事を想っている事に気付き、自分は相手の事が好きだと確信するという大事な場面があります。僕は青山のシナリオセンターで脚本を学んでいた事もあり、描写を描く事に注進していました。だから、その場面も心理描写を排して、描写に徹しています。セリフも心理描写も無く、ヒロインと主人の青年の気持ちを表す心情を描いたのです。その場面の心情がよくわからなかったという読者さんからの感想を頂きました。それは僕の独りよがりで、読者にはその二人のその時の心理が伝わっていなかったようです。やはり、小説と脚本とが違うものだと、実感した時でした。
統合失調症が何かも分からないけど。
僕の著書『愛が何かも分からないけど』は、20代を統合失調症の闘病生活で、青春を送れなかった若者が主人公の小説です。その主人公は、30代になりある女性に恋をします。それが風俗嬢の女性なのですが、僕はこの作品を書いた当時、精神障がいの福祉の踏み入ってはいけないタブーに踏み込め!みたいな心境で、統合失調症当事者と風俗嬢の女性の恋愛を描きました。でも、それって結局、僕の勝手な統合失調症に対しての思い込みだったり差別だったりしたのかも知れません。統合失調症だから、恋愛する暇もなった、それはそれで確かな事かも知れません。だけど、統合失調症の人でも、普通に恋もするし、結婚もします。一般就職だってするし、一人暮らしだってする。症状は人それぞれ違うけれど、もしかしたら、「愛が何かも分からないけど」の主人公のような統合失調症の
当事者が本当にいるか知れないし、それが本当に統合失調症当事者の問題点なのかも知れません。誰も声に出して訴えないだけで、そんな現状が本当に精神障がいを抱える人の問題なのかも知れません。そう考えると次の作品を考えるのが楽しくなってきました。
これからも逢坂 純をどうか、ご贔屓にしてやって下さい。
イメージ:統合失調症≠怖い
統合失調症=怖い、というイメージは大分、払拭出来ているんじゃないかと、最近思います。けれど、自分の思っている妄想などを、いざ人に話すのは、結構勇気が要る事のようにも思えます。昔僕がやっていた事は、統合失調症の症状を冗談のようにして言う事でした。例えば、誰もが僕の事を知っていて、僕の考えてる事が皆に全部、垂れ流しに流れているという妄想の場合は、「この部屋、盗聴器付いてる?」とか言ったり。
まあ、普通の神経の人から言ったら、そのどちらも異常でおかしな事のように思われるかも知れません。だけれども、僕はその時、周りの人に怖がられたくなかったのです。そう思う一心で出た言葉が、「この部屋、盗聴器付いてる?」だったのです。僕が幻聴の事を「ぷっちょ」と可愛く呼ぶのと同じ発想です。
朝型人間、晴れたら外に出て深呼吸を。
最近は、もう夜の9時には、寝られるようになりました。夜型よりも朝方の方が、太陽の光を浴びる事が出来て、健康に良い事は勿論、統合失調症にも良いようです。
でも最近の僕は仕事を在宅にしてから、外に出る機会がめっきり減りました。作業所と変わらず、朝9時には業務開始なので、朝型人間は朝型なのですが……。
在宅で仕事を始めたのですが、在宅だからと言って、髭は剃らない、風呂にも入らない、
家に居ても髪やら服装やらをキチンとしていない。家で仕事をしていても、身なりや生活は、毎日作業所に通っていた時同様、いや、それだからこそキチンとしていきたいと思っています。今日は雨陽気ですが、晴れたら仕事の合間に外に出て深呼吸。頑張って仕事に励む事にします(無理なく)。
運は自分で引き寄せる。
運の引き寄せ上手、と唱える友人がいます。その彼は、運がいい人は、運の積み重ねが上手い人だと述べています。常にポジティブでいれば視界は開け、向こうから運がやって来るのだと言います。
運というのは、努力の結晶が実って、偶然ではなく、必然的に起こる当然だと僕は考えます。周りの人には、偶然に偶然が重なり、幸運に見舞われるのだと思っている人もいると思います。しかし、運はこれまでその人がしてきたコツコツと積み上げてきた努力が実力として裏付けされた必然の結果なのだと、僕は僕は思います。だから、僕は運が向いて来るのを只待っているだけじゃなく、その日の為にたゆまぬ努力をするべきだと思っています。その日を迎え入れる為にも、僕は毎日の努力を怠らないでいようと思います。
好きこそものの上手なれ。
好きな事をやるには、嫌いな事もやらなくてはいけない。人は昔からそう言うけれども、僕はそれについてはちょっと違う考えを持っています。好きな事をやる為にやる事って、それはもうその行為さえも好きな事なんじゃないかなと思います。好きな事の周りにある好きでは無い事も、すき色に染まっていくのではないかと思っています。好きじゃない事も、好きを夢中で極めようとするときには、全部、好きでいっぱいになっていくのではないかと。だから僕は、どんな事でも好きの一部分と考えて、何でも出来てしまうんじゃないかと思っています。好きこそものの上手なれ、という言葉、もしかしたら、そういう意味も内包しているんじゃないかと思います。
欲と自己実現と。
欲と自己実現とは、異なるものなのでしょうか。僕は自分で文章を書いて、表現したい。
それは多分、自己実現なんだと思います。
僕はkindle出版で販売している書籍が売れて、それも一冊だけではなくて、書いた本全部が売れたらいいなと思っている。それでもってその本の売れた収益だけで食べていけるようになりたい、それは欲ですよね。
どっちも大切だし、どちらも必要な事のように思います。欲の塊になってもいいとさえ思います。只、その為の努力をすればの話ですけど。その前向きな欲がやがて自己実現の姿を正に実現できるような気がするからです。
それには、作家がやるようなSEOとかSNSとかのなんたらかんたらでも、じぶんの欲とその先に自己実現の姿が待っているのなら、
僕はその為の努力を惜しまずやりたいです。
でも、頑張るのも(無理なく)でやっていかないと、頭が身体がへばってしまうのです。
だから、皆さん、どうかご無理なさらず頑張って行きましょう!
そんなに急がなくても、何とかなるよ
自身のメンタルLINEグループ統合失調症LINEグループ[Birds]を立ち上げ運営する為に、9月から今までの作業所を卒業して、新しい仕事を始めました。僕としては、今すぐにでも、このLINEグループを始めたくて、LINEグループのチラシも作ったのですが、相談員さんのストップが入りました。まあ、仕事を始めてすぐに新しい事を始めるというのも、あからさまに間違っているとは思いますが、仕事が疎かにならないようにとの相談員さんの僕の仕事に対する配慮なのです。以前、障がい者雇用でアルバイトしていた飲食店でも、創作活動を続ける事によって、本来の仕事が疎かになってしまい、辞職したので、それを自戒の念として、今回はじっくりと準備を進めていきたいと思います。
殺されるかも妄想。
最近、「僕、殺されるのかな?」妄想が酷いです。友人にはスピリチュアルに傾倒している人がいるんですが、その友人が言うには、「社会で普通に暮らしていて見えない部分の裏社会があるけれど、そういう目には見えないものも概してスピリチュアルと言うのだよ、霊的なものだけをスピリチュアルと言うのではないのだよ」と教えてくれました。僕は統合失調症を発症してから、この世の中の裏の部分をずっと身近に感じていたのです。
それは只の僕の妄想なのかも知れないですが、世の中の裏側というか社会の本質を見ているのだと思いました。
だから僕は殺されなければいけないのです。
社会の見えない部分を見つけてしまったから、殺されてしまうんです。自分の考えている事が(それは大体が妄想なのですが)、全
て嘘であって欲しいと思っているんです
おかしな話ですよね。