周りの人々が僕の幸せを作ってくれている。

友人が言いました。自分の幸せを作って行くのは、自分の環境だという事です。あ、それ僕も思ってた事だ、本当にそう思います。自分一人では幸せは作れない。周りの援助だったり、周りの人との、コミュニケーションだったり、知らず知らずのうちに助けられている事も多々あったり、そう思います。僕は大学の時、自分で自主製作映画のサークルに入りました。けれども、それだって、子供の頃から映画が好きで、アニメだけじゃなく、洋画邦画、小さい頃から親に連れられ、映画を楽しんでいたという、環境がそうさせたのです。他の友人はこんな事を言いました。過去の自分があって、今の自分がある、だから、今を精一杯に生きよう、と言ったのです。
過去の自分があって今の自分がある、その言葉を聞いた時、僕は過去の自分の沢山の失敗を思い浮かべました。失敗し、学んだ事を教訓にして日々の生活を送りたいものだと思いました。

ピア=仲間。

ピアと言う言葉は、本来は仲間という意味で使われていたようです。だから、どんな病気でも、例え病気でなくても、一つの事で繋がった関係はピアと言えるでしょう。うちの母もピアの関係をとても色濃く築けた人だと思っています。うちの母は、癌でした。初めは個室に入っていたのですが、泣いてばかりいる日々でした。それで大部屋の方が気がまぎれるだろうと、大部屋に移して貰いました。
そうすると、病室の皆も癌だったのですが、
皆とても明るい。母の涙も乾き、絶対に生きてやるという意志が湧いてきて、病室の皆と
色んな情報をシェアしてみたのです。
それだけではなく、誰かの誕生日には、誕生日ケーキを用意し、消灯時間が過ぎてから、病室の皆で誕生日をお祝いしたそうです。
母の第二の青春だったのかも知れません。
母の同じ病室の友人は残念ながら、亡くなってしまいました。でも、母は今日も生きています。

ピアトークの会。

昨日は、朝からピアトークの会というコミュニティイベントに参加してきました。
精神障害を持たれた人の集まりだったのですが、グループ別に別れてのテーマを決めてのお喋りをする会でしたが、僕のグループは自分がやっている創作活動を紹介するというグループでした。参加されている皆さんはとても素晴らしい創作活動ライフを送っていらっしゃり、それはもう趣味の域を超えたものまでありました。僕も人から感動を贈る事が出来る作家になりたいなと思いました。
と、楽しい3時間弱を過ごし、僕は家路に着いたのですが、人と話すのが久しぶりだったので、夜の20時くらいには、もう寝落ちしてました。
疲れたら寝る、それも大切です。
そして今の僕はそれが出来る。その環境にある事を幸せに思わなくてはいけないですね。

後悔はないけれど、反省はちゃんとしてます。

昨日、仕事を辞めて後悔はないと言いましたが、反省はちゃんとありました。仕事が疎かになる程、創作活動にのめり込んでいたなんて、まるで自覚が無かったです。だから僕は何も悪びれる事無く、仕事を辞めてしまいました。折角障がい者雇用で雇ってもらった会社の人にも、そして支援者の人をも裏切ってしまっていた事になると今更ながら感じたからです。任された仕事が皿洗いだとしても、
仕事はチームプレイで、キッチンで料理を作る人、食事をお客様に提供する人、そして皿を洗う僕。僕は周りの人の期待を全部、裏切っていたのだろうなと。僕はもう仕事を辞めてしまったという事実は、もう起こってしまった事として受け止め、今は自分に出来る精いっぱいの事をやっていきたいと思います。
それが自分の成長と成果に繋がるのだと思うからです。今日も一日元気で頑張ります(無理なく)。

障がい者雇用と自己実現との間で。

障がい者雇用で、飲食店に勤めていた事がありました。その飲食店での僕の仕事は、皿洗いと簡単な仕込み。皿洗いは業務用の食器洗浄機がやってくれるし、簡単な仕込みというのも、玉ねぎの皮むきと、じゃがいもの芽取りです。ランチタイムのバイキングの時間は店の繁忙期、フロアの人が忙しくしている時は、まだ僕は全く暇で、皿洗いのコーナーの一角で、鼻歌でも歌っていました。フロアの人がランチタイムのお皿を下げて来る時間になると、キッチンの人達はひと段落、食器を下げ終えたフロアの人もひと段落、ここからが僕の繁忙期なのでした。そうして一年半が経ち、僕は支援者の人たちとこれまでの振り返りの会合を開きました。そこで僕は仕事にミスが目立つ、と言われました。自覚は全くありませんでした。支援者の全員が僕に言いました。創作活動を辞めて、仕事に集中した方がいいと。けれども、僕はその時、創作活動があってこその自分だと、頑なにその申し出を断りました。そして会社を辞めました。
今ではそれは正しい事だったように思います。そうして今の創作活動を楽しむ自分がいるのですから。仕事を辞めた事に後悔はありません。

流れんぞ、時代。

日常を生活していると、忙しさに紛れて、社会の動きがまるで別世界の出来事のように、耳に目に入って来ない最近です。
誰とも話さないから、自分で世間の情報をインプットしないと、社会の流れから、スルリと流れ落ちてしまうんでしょうか。
阿部元総理の国葬の時、名古屋の街は、穏やかで何事も無かったかのように、静かだったようです。
うちでは、朝から父がメジャーリーグの大谷翔平選手の出場する試合を観ています。
父親がいなかったら、僕は大谷選手の活躍も知らずにいた事でしょう。
自分の知りたい事を知識欲に任せて、研究す
るのもいいけれど、やはり社会の流れを知っ
ていないと、人とまともに話せないんじゃな
いかと思えます。以前の職場では、話をする
事自体無かったですが、話しをする場にいた
ら、世の中の出来事は、ある程度、知らない
と恥を掻くんじゃないのかなとも思えます。
周りの事に無関心、社会が今どうなっている
のかに無関心、いけない兆候です。

ここにいない僕。

今、自分が何処で何をしているのか、分からないという話をSNS上で聞きました。
僕もその通りだと思いました。
自分は本当にここにいるんだろうか。
この椅子に座り、昼食はリビングに降りていき、母親が作ってくれた料理を食べる。
そんな当たり前の事が不意に錯覚ではなかろうかと思う時があります。
世の中は作られている妄想です。
僕の身体はここにいるけど、心は何処にいるんだろう、そう思ってしまうのです。

学び>孤独。

精神障がい者は何もべんきょうしていないと孤独に追いやられてしまうような気がします。僕も統合失調症の事を勉強する前は、家族の理解も無く、孤独でした。親には、怒鳴られて、僕も怒鳴って、双方ヘトヘトになって。
だけれども、家族で統合失調症の事を勉強し始めて、それで友人とも精神障がいの考えを共有できたし、それで作業所にも行く事ができたし。それで作業所の仲間もできたし。そうしていくと、色々な学びと気付きが出来、そうしていく事で、行動範囲も自然と広がってきたり。
今までは決して行けなかった、出来なかった事が出来るようになったり。
だから、今の僕はちょっと成長して、やりたい事を少しづつ、出来るようになって、自分のなりたい姿に近づけているんじゃないかと思っています。

特別じゃなくて、特殊??

好きな事を好きなように出来る環境づくりは
とても大切なように思われます。
僕は精神障がい者で、経済的自立も出来ておらず、親の協力と援助のお陰で、自分が好きな事をやらせてもらっています。
自分の好きな事で、将来を食いつないでいきたいと思っています。
その為に今、自分が出来る精いっぱいの事をやらなければいけないと思っています。
だけど、それは一人では到底出来ない事のように思われます。
家族からの援助、仲間の協力、それらが僕に手を差し伸べてくれるなら、僕は本気で自分の好きな事を仕事に出来るように、頑張れる。だけども、他人も家族もやっぱり自分の生活があって、僕に協力したくても協力出来ない人の方が多い。
障がい者障がい者でないは、関係無い。
それこそ、障がい者の自己欺瞞。
障がい者の自己実現だけが特別なものじゃない。
だから、障がい者の自己実現は、そうでない人と同じか、それ以上に頑張らなくては出来ない事のような気がします。
だから、僕は訴える。訴えた熱量で、それを実現できる仲間を得られるかどうかが決まるような気がします。
一人ではやっぱり出来ない事の方が多いから。

太陽の光の大切さ。

今日は朝起きて、カーテンを開けると、太陽の光が部屋の中に差し込んできて、とても気持ちの良い快感を味わいました。
太陽の光がこれ程までに、人を元気にするのか、日の光を浴びながら、そう感じました。
この感覚を統合失調症になった当時に、毎日味わえていたら、どんなに回復の助力となっていたかと思いました。太陽の光の中で、毎日散歩する、それがあの時出来ていたらと思うと、あの時はカーテンを閉め切って布団をかぶって部屋の中から出られない程、病んでいたんだなと思います。
太陽の光というのは、ビタミンⅮを生成する効果があったり、睡眠の質が上がったり、骨を強くしたり、血圧が下がったり、そして何より気分が安定する効果が見られるみたいで、ベランダで日向ぼっこをするのも良いかと考えています。
朝早く起きたら、近くの公園を散歩するのもいいかも知れません。
公園を二周ぐらいして15分くらいな短い距離ですが、やらないよりやった方がマシと思い、これからは散歩を日課に習慣づけたいです。物事の習慣化は3カ月で出来ると言いますが、よく考えたら、アルバイトの研修期間も確かそんなもんだったよなーと思います。
太陽の光に感謝!